『これが俺の生きてきた道』part7
一つだけお願いがあります。
3つのYouTubeをはっております。
これはもしかしたら見る方には衝撃的な映像です。
ですが皆様に読んで頂くにあたり
このYouTubeは必ず見ていただきたいのです。
これは
俺と何の関係もない方のYouTubeですが
関連的、状況的に知ってもらう為、
はらせて頂きました。
本日は、それに加え
少し嫌な思いをする画像を載せますので
ご注意下さい
ならびに不甲斐な思いをさせてしまいましたら
申し訳ありません。
これが俺の生きて来た道も
佳境へと入って参りました。
残すところ
この回と次回でlastとなります。
前回までは
新たなJ部長に生きる使命感を与えてもらえた話で
生きがいを感じ出した俺に
運命の日が迫っていたとの話でした。
俺は
ここ何十年も感じたことのない
生きている感情をあじわった。
風を感じる。
太陽の暖かさを肌に感じる。
息が出来る。
生命が躍動する。
普段、皆が当たり前のように感じられていた事が俺にも感じられた。
全てをプラスに考えられるようになりだしていた。
そして、J部長の事を心より俺は慕っていた。
ずっと14年間思っていた通り
やはり彼の側は自分が変えられる場所だった。
家では
愛犬の武蔵が成長を続け
俺は子供が進学、進級するように武蔵の成長を見つめていた。
武蔵は元気にすくすくと成長した。
東京はペットにはあまり優しくない環境が多いが
最近はカートに入れれば
モールやカフェなど入れるところも幾つかあり
家族4人(犬)で沢山出かけた。
俺の心の状況も良くなりだし
いつの間にか俺も外に出歩くようになっていた。
だが、それはある日突然訪れた…
武蔵が急に痙攣し口から泡を吹いた。
痙攣してる時は意識が無く
知らずに失禁している。
痙攣失神は5分~10分続いた。
だけど、しばらくすると何事もなく
武蔵は歩き出した。
病院に連れて行き診察してもらうと
多分、『てんかん』だろうと
犬は人間のなる病気は全てなるという。
俺はこの時初めて感じた。
犬は人の数倍以上に歳をとる。
この時点で武蔵は16歳くらい
普通の柴犬なら寿命を越している。
武蔵はいつまでも俺の側に居ないんだと…。
俺はね
『死』が怖いんです。
自分に舞い降りる死よりも
俺の大切な者に訪れる死が…
俺の前から大切なものが失うのが怖いんです。
母と父と見送り
俺の大切な人が俺の側から居なくなるのが
もう耐えられないんです。
本当に怖くて震えてしまうんです。
だから俺はもう大切な人をつくりたくない。
何故なら見送るのが怖くて仕方ないから…
いつか武蔵も居なくなると感じた時
俺はどうなるんだろう。
でも武蔵は俺の一日が何日にもなってるのを目の辺りにする日々が続きました。
武蔵は徐々に歳をとり
20歳を越えたあたりから
歩いては転ぶようになり
トイレも踏ん張りが効かず
オムツをするようになりました。
でも武蔵は俺が帰ると頑張って立ち上がり
ふらふらと歩いては転びながらもお出迎えしてくれてました。
だが、時間は残酷で
どんどん過ぎて行きました。
武蔵が真夜中、突然
『う~ん、きゃ~ん、わぅ~ん』など
鳴き声を出してると気がつき
起きて見ると
前足の力がもうほとんど無く
頭が重いから前転のようになり、
しまいには頭を基準に三点倒立みたく転んで
助けを求めていました。
そこからは人間の介護と同じで
毎夜毎夜、寝づにお世話をすることに
うんちもうまく出来なくなり
気張ると力が入らなく
尻もちをついてしまい
身体中、うんちまみれに
何度もてんかん発作なども出始め、
しまいには痴呆のような状況になり
歩けないのにくるくるとその場を何十回も
周りだしたり
何処までも前に進もうと壁やドアにずっと頭をぶつけ進み続けようとしていたり
玄関と部屋とを何時間も行ったり来たり
夜中に鳴き声を発しったり
家族も介護と仕事の疲労困憊状態でしたが
この子は大切な家族。
この子が居たから俺は生きようと思って
来れた
認知症の老犬、ぐるぐる徘徊(柴犬,17歳) - YouTube
だからどんな状況でも状態でも良い!
この子に生き続けて欲しい!
俺の生きがいを失いたくない!
もう俺の大切なものが
俺の前から失うのは嫌だと頑張りました。
俺はボランティアも副部長の使命をもらい
時間を削りながら頑張りました。
すべての頑張りが、努力が
あの子の寿命を延ばすことが出来るならと
もしも神様的な者がいるなら
どうか俺の善の行いを全て武蔵に返して欲しいと
長生きさせて欲しいと…
俺はボランティアのメンバーの家庭訪問に行き激励しボランティアに誘い続けました。
新メンバーの彼は約束の時間を過ぎても戻って来ないなか玄関下のホールで待ち続けました。
新メンバーの彼が来たのは約束の1時間後…
家庭訪問中、俺の携帯が鳴りましたが
俺はメンバーの家庭訪問中で気が付いてても
電話に出ないでいました。
家庭訪問が終わり
折り返し電話をしてみると
姉が
『武蔵の様子がおかしいの!?すぐに帰って来て!』と
俺は急ぎました!
『神様、仏様!どうか武蔵を、助けて下さい!
もう俺から大切なものを失わさせないで下さい!』と祈りました。
家に着くなり
姉は武蔵を抱き抱えながら
『武蔵!武蔵!ほら!Toshiya帰ってきたよ!武蔵!』と大声をあげていました。
俺が武蔵の側に駆け寄り
『武蔵!!』と声を発すると
武蔵はそっと目をあけ
2秒ほど俺を見つめると
そっと目をつぶり
安らかに姉の胸のなかで
息を引き取りました。
22歳と10ヶ月でした……
犬にしては大往生でしたが
そんな何年生きたから良かったという
ものじゃ無かった。
俺にはあの子が全てだった…
俺には誰も居ない…
あの子だけが俺の側にずっと居てくれた
俺は又、
一人ぼっちになってしまった…。
俺は生きる意味を失ってしまった。
あの子が俺の前から居なくなったのが
2年前の『9月20日』でした。
現在もあの子はまだ
俺の側に居ると思っています。
毎日
『武蔵一緒に寝んねするよ』って
語りかけてます。
寂しいよ……。
武蔵…。
お前が居なくなって……
お前はお兄ちゃんの命だった…。
お兄ちゃんの全てだったのに…。
お兄ちゃんには
もう何も無くなっちゃったよ…。
お兄ちゃんは生きていけないよ……
お前の所に行きたいよ…。
武蔵…。
会いたいよ…
抱きしめたいよ…
傍に居て欲しいよ…
武蔵…。
今でも涙がとまりません。
あの子が着けていた首輪
ずっと鞄に着けて持ち歩いてます。
どんな柴犬を見ても
あの子の代わりは居ないです…。
どんな柴犬を見ても似た子が居ても
あの子じゃない…。
弱虫な俺。
俺は弱いです。
俺は泣き虫です…。
俺は
もう生きて行くことが出来なくなってしまいました……。
その頃
俺が愛犬を亡くした事を知った
ボランティアの部長をしていたJ部長は
座様な方法で僕を支えてくれました。
痛みを共にわかち合ってくれました。
そして武蔵が亡くなり2ヶ月後
J部長が
『実は僕、年末に別の地域の部長として移動になりました』と俺に告げました。
J部長まで俺から離れて行くことになりました。
そして
その冬
武蔵がこの世から去ってから
3ヶ月後、俺も青年団を卒業し
壮年グループに移動の連絡が届き
J部長とも、お別れになることが
正式に決まりました。
俺は武蔵を失い
J部長まで失うと思うと
もう生きていけない!
と思いました。
思い返せば
俺の周りは誰も残って無かった。
失うものばかり
母に
父
尊敬していたSさん
武蔵…
そしてJ部長までも…
もう嫌だ!
俺は昔の自分に戻りたくない!
俺は一念発起で決意し
ある日
J部長に告げました。
今回、武蔵と俺の関係を知って欲しく動画や画像などで皆さんに見て頂きましたが
それにより気分を害した方も居るかと思います心からお詫び申し上げます。
次回
『これが俺の生きてきた道』
は最終回になります。
これ迄、読んで来てくださった方には大感謝です。
もし良ければ次の最終回も
読んで頂けたら光栄だと思っております。
宜しくお願いします。