今日の空は蒼空

今の自分の心とゲイである葛藤と活動

『これが俺の生きてきた道』part5

 

実は、明日の20日
俺にとって本当に大切な日の1つなんです。

 


忘れられない日。


忘れてはいけない日。

 

本当は明日の20日に合わせて
更新したかった記事の内容があります。


でも、間に合わなかった…(笑)

 

しばらく
『これが俺の生きてきた道』を

書いてなかったから……。

 

 

書こう、書こうと思っていたのですが、


読んでくださる方が増えるなか

グループ以外からも見てくださる方も増え


少しディープな表現内容に気分を

害させてしまうかな?とか


不幸自慢になるかな?とか


ネガティブ的な記事を好まない方もいるかな?とか

 

考えて躊躇していたら


9ヶ月近く
『これが俺の生きてきた道』を書けずにいました。

 


でも来月の誕生日に俺はブログ1周年を迎えるにあたり

 


其れまでには『これが俺の生きてきた道』を

終わらしたいと思っているので書こうと思います。

 

 

これは
俺がどんな人生を送ってきたか

また俺という人間がどんな人間なのかを、

ご理解してもらえるかと思い書いているのもありますが

 

 

今一度、自分を見直すために

又自分の自伝みたいな物として

残しておこうと思い書かせてもらいました。

 

 

決して押し付けがましく感情移入して欲しいとかではなく

 

一人の人間として

こんな奴も世の中いるんだなのような感覚で

見ていただけたらと思います。

 

 

 

彼是

どのくらいこの記事を

書いてなかったんだろうと
自分の記事を読み返してみたら

とりあえず今年に入り1月に更新していたんだと知りました。

 

 

前回part4まで書かせてもらいました。

 

 

part4では
運命の出会いとして

愛犬の武蔵との出会い


又、ボランティアの青年団に参加し

22歳の青年と出会ったところまで

お話しました。

 

 

俺は何故か

その22歳の青年から目が話せなかった。

 

 

彼は若々しく
凛々しく

どこか自慢気な態度に満ち溢れ

 


俺とはまるで真逆の世界にいる人でした。

 

度々、俺は青年団に参加する度

彼にひかれていました。

 

 

あのSさん(part3)の時と同様に
もしかしたら、これは恋心かと思ってました。

 

 

彼は、自信に溢れ太陽の様に

いつもキラキラ輝いて見えました。

 

 

しかも気がつけば

いつも彼の周りには沢山の人が集い

 


皆に下の名前でJ君とかJちゃんとかJ!とか

気さくに呼ばれてました。

 

その時は同じ青年ボランティアにいながら

俺の周りは誰も居なく

 

皆がよそよそしく

名字に君や、さんをつけて

呼んでくれてました。

 

 

その時の俺は超長髪でした。

 

地毛が天パだったので、そこまで長く見えなかったのですが、伸ばすと背中の中央近くまで

伸びた髪、体重はその時点で170オーバーはあったかも知れません。

 


流行りでロンゲにしてた訳ではなく

美容室に行けなかったんです。

 


恥ずかしい話し

シャンプー台の椅子が倒れたら体重で戻らないという恥ずかしい体験などもあり…

 


美容室に行く勇気がなかったので

髪は伸び放題でした。

 

 

Jちゃんこと、
彼は人柄も良く色々な人に声をかけて交流を広げていました。

 

 

ある日、俺の同期のボランティアの子にまで

話しかけたらしく、

同期も彼の事をいつからかJ君と呼んでました。

 


俺は内心

『良いな~、話しかけてもらえて、俺にも声をかけてくれないかな…』


『もし彼が話しかけてくれたら日陰のような俺も陽を浴びれるかも、俺の人生は変われるかも知れない』と思ってました。

 

 

俺はずっと彼に話しかけてもらいたいと思って年月を過ごしておりました。

 

 

その当時、家庭では
縁日で購入した愛犬を拾ったと家族に嘘をつき

 

そのまま飼うこととなり

愛犬の武蔵は家族の一員

我が家の子供として家族の愛情に溢れすくすくと育っておりました。

 


母が他界し、家に帰って来なく三年も職場で暮らしていた父も武蔵の愛らしさに負けたのか、家に帰って来ました。

 

 

家族皆、母が他界して居なくなった心の寂しさを武蔵という家族で埋めていました。

 

 

ですが、俺は相変わらず
自信がなく社会から疎遠、孤立状況に

 

こんな化け物みたいな姿を見せる事を恐れ

仕事の面接にも対人恐怖症を発生し行けなく

ニート生活をしており生活を姉達や父に見てもらっていました。

 


俺の

『いつ死んでも良い、自ら死ぬのが怖いだけで生きたままの死人状態』は変わらずに

ずっと過ごしていました。

 


むしろ、この人生は
我が子、愛犬の武蔵の為に使おう

武蔵が居るから、この子を育てなきゃいけないから、生きていこうと決めました。

 

 

俺は
家庭では武蔵に愛情を注ぎ
ボランティアの青年団では

彼に話しかけられることをずっと待ちながら


社会では生きたままの死人と化し引きこもり、

社会不適合者として何年も生きて行きました。

 


それして彼是、
母が他界し10年を迎えた
俺が30歳の時
又一つ俺の前にとても辛い現実が現れました。

 

 

それは次回part6でお話させて頂きます。

 


長い文面を根気強く読んで頂けた方に

感謝します。


又、過去の番外編を含む
part1~part4まで遡り読んで頂けた方に

感謝します。

 

 

次回も何気なくでも目を通して頂けたら

感謝につきません。

 

 

ありがとうございました
m(_ _)m

 


これが俺の生きてきた道 part1 - 今日の空は蒼空

 


これが俺の生きてきた道 part2 - 今日の空は蒼空

 


これが俺の生きてきた道 part3 - 今日の空は蒼空

 


これが俺の生きてきた道……番外編。 - 今日の空は蒼空

 


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